■あらすじ
仕事バリバリの32歳OL、小島五和(こじま さわ)。28歳で最後の恋愛を終えてから、しばらく恋愛なんかしなくていいと思っていた彼女に訪れた30代最初の恋、そして失恋。その相手を見返すために、「恋愛マニュアル」を片手に、日々奮闘していく…

■作者プロフィール
志羽 竜一 1976年生まれ
慶應義塾大学 経済学部卒 東京三菱銀行退行後、三田文學新人賞を受賞してデビュー。
作品:「未来予想図」「アムステルダム・ランチボックス」「シャンペイン・キャデラック」など

※小説内で小島五和が使う「恋愛マニュアル」はNewsCafeトップページ中段リンクから閲覧可能です。

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第15章 心に彫っとけ

☆60

「お前はやくしろよ、もう準備できてんだからさ」

舞台の裾で待ちかまえていた傑が焦って私に駆け寄った。

「モデルちゃんたちもスタンバイできてるよ」

「傑、司会進行、ちゃんと覚えてるよね」

「あぁ、困ったら脇からプロンプトちゃんとやってやるから」

「セリフも暗唱できる?」

「あたりまえだろ一緒に考えたんじゃねぇか。ちゃんとフォローすっからそんな心配するなって」

DJブースに立つスタッフが手を振っていつでもショーを開始できることを告げていた。場内の観客たちはクリスマスの大イベントの開始をいまかいまかと待ちわびている。私はよし、と声を出すと傑を見上げてきっぱり言った。

「傑、ちょっと私、出てくる」

「待てって、いま確認とるから」

「そうじゃなくて、傑、司会お願い」

無線で各チームと連絡を取ろうとしていた傑が「は」と口を開けたまま固まった。

「私どうしても行かなくちゃ行けないの」

「ちょ、お前意味わかんねぇよ! そんなことできるわけねぇだろ!」

「加納さんのコンクールの決勝、今日だったの! あの人、私のための料理を作ってくれてるの!」

「そんなこと急に言うなって!」

「お店の人から留守電入ってたのよ、加納さんお店を畳むかもしれないって、でも本当に作りたい料理を作るためにコンクールは最後まで出るって! その料理って、私のための料理なのよ!」

「なんのことだよ! お前、いま仕事中なんだぞ!」

「私はいま人生中なの!」

私は大声で怒鳴った。

「そんな……お前がいまそんなことしたら会社いれなくなるぞ」

「それでもいい、ぜったい後悔したくない」

「このイベントどうするんだよ!」

「イベントは大丈夫よ、傑ができる」

「できるわけねぇだろ」

「これは私と傑と一緒に考えてきた企画でしょ。私の代わりに傑がライトを浴びるだけよ。その姿を見て、なにかに気がつく人だって必ずいるわ」

「どういう意味だよ」

この会場のどこかに祐理さんはいる。壇上に立つ傑を見て、もう彼がいままでの彼とは違うことをきっと彼女も知るだろう。

「ほんと迷惑かけてごめん。でも傑も頑張れ」

たくよぉ、とついに観念したように傑は頭をかいた。異変に気づいたスタッフが「どういうことですか?」と急に焦りはじめる。傑は彼らを手で押さえながら「いけ」と私に合図した。

「オープニングの曲流してください」

インカムに傑が告げる。場内の照明が落ちてフロアの観客たちが声をあげた。

「行くんだろ、早く行け!」

「傑、一生恩に着る」

「いいから行け! 恋路ってのは歩くんじゃねぇ、一心不乱に走ってくんだよ!」

「それ、マニュアルには載ってなかったよ」

「だろうな。忘れずに心に彫っとけ」

私はうなずいて会場出口に向かって走り出す。すいません、となんども頭を下げながら人混みの中を縫うようにして走った。

「会場の皆さま、ながらくお待たせいたしました……」

階上に傑の声が響く。スピーカーから流れたのが男の声であることに各スタッフが慌てふためいているはずだ。舞台中央にスモークがたかれ、幾条ものレーザーが会場内で交差する。司会席の傑にスポットライトが当たる。自信に満ちあふれた彼は私が今まで見たこともないくらい生き生きと輝いていた。

「サワ、お前なにやってんだよ」

急に腕を掴まれて私はつんのめりそうになる。

「なんでスグルが司会やってんだよ、あれサワがやるんじゃないの?」

「香月さん、あとお願いします。私、行かなきゃ」

彼女の隣にいる祐理さんに視線を投げて言った。香月は私の深刻さに気づいたのか、ぱっと腕を掴む手を離した。

「こんなことならスグルをもっとお洒落にしときゃよかった」

「もう充分みたいですよ」

私にも気づかずに壇上の傑をじっと見ている祐理さんを指して言った。あとは香月がなんとかしてくれるだろう。

「この舞台より大舞台なんだろ。急ぎな」

香月が私のお尻を叩く。ハイ師匠、と私は香月に敬礼する。ショーの開始を告げる音楽が流れる。舞台からモデルが颯爽(さっそう)と現れる。いっせいに声をあげて飛び跳ねる観客に背を向けて、私は全力で会場から駆けだした。

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