■あらすじ
仕事バリバリの32歳OL、小島五和(こじま さわ)。28歳で最後の恋愛を終えてから、しばらく恋愛なんかしなくていいと思っていた彼女に訪れた30代最初の恋、そして失恋。その相手を見返すために、「恋愛マニュアル」を片手に、日々奮闘していく…

■作者プロフィール
志羽 竜一 1976年生まれ
慶應義塾大学 経済学部卒 東京三菱銀行退行後、三田文學新人賞を受賞してデビュー。
作品:「未来予想図」「アムステルダム・ランチボックス」「シャンペイン・キャデラック」など

※小説内で小島五和が使う「恋愛マニュアル」はNewsCafeトップページ中段リンクから閲覧可能です。

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第15章 心に彫っとけ

☆59

「小島、最後に聞いておくけれど」

控え室で待っていた加那山は腕を組んだまま言った。

「あの噂は本当なの」

彼女の顔は真剣そのものだった。

「あなたが父親のわからない子を孕(はら)んで、堕ろしたって噂よ」

あらためて人の口から聞くと、私に囁かれている噂がいかに卑劣でくだらないのかが身に染みてくる。

「でたらめです。そんな事実はありません」

「ならいい。もっと早くに聞かなきゃいけなかったんだけど……すまなかったわね」

らしくもなく加那山が謝意を口にした。

「事実なら体調のこともあるから外さなきゃいけなかった。けど五和を外したらこのイベント自体が成立しなくなるんじゃって心配だったのよ」

そんなに自分が加那山の頼りにされていたことに私が驚く。

「ご心配かけてすいませんでした」

「いいのよ。それに五和の言うとおり、戸田を入れておいてよかったわ。彼がここまでやるとは思ってもみなかった」

「私がいまから急病で倒れても傑がいればイベントはなんとかなります」

そうね、と加那山が珍しく笑う。頑張って、と言って彼女は控え室を出て行った。イベントの開始までもう十分ほどだ。フロアから流れてくるダンスミュージックはこの控え室にまで届いている。

私は鏡の前に立って自分の姿を眺める。

数ヶ月前には想像もしていない自分の姿だった。生まれ変わろう、そう決めた夜にだってここまで自分が変われるとは思っていなかった。でもそのためにあまりにも多くの代償を支払った。

もういちど昔に戻れたとしたら、私はどうするだろう。

私はそう考えて首を振る。そんな感傷に浸っている場合じゃない。いまは自分のしなくちゃいけないことを、できることを全力でやるだけだ。鞄のなかから携帯を取りだす。不在着信とメールが数件入っていて、メールでは母が会場のどこかに来ていることを知った。彼女のことだ、若い女の子たちに紛れてもきっと一歩も引かずに男の子たちを相手にしているはずだった。私は微笑みながらメールを確認し終え、不在着信を表示する。ディスプレイに映るその文字に、私は思わず腰を浮かせた。

──カノウ・店

三件もたてつづけに着信が残っていた。イベント本番を前にしても落ちついていた私の心臓が急に電気を流されたように飛び上がる。加納さん本人だとは思えない。それなら自分の携帯から直接電話をかけてくるはずだった。それならなぜ店の人間が私に電話をかけてくるのだろう。加納さんは応援の言葉を人づてで伝えるような人じゃない。数瞬のためらいのあとに発信ボタンを押す。

私の電話は1コールしないで取られた。

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