■あらすじ
仕事バリバリの32歳OL、小島五和(こじま さわ)。28歳で最後の恋愛を終えてから、しばらく恋愛なんかしなくていいと思っていた彼女に訪れた30代最初の恋、そして失恋。その相手を見返すために、「恋愛マニュアル」を片手に、日々奮闘していく…

■作者プロフィール
志羽 竜一 1976年生まれ
慶應義塾大学 経済学部卒 東京三菱銀行退行後、三田文學新人賞を受賞してデビュー。
作品:「未来予想図」「アムステルダム・ランチボックス」「シャンペイン・キャデラック」など

※小説内で小島五和が使う「恋愛マニュアル」はNewsCafeトップページ中段リンクから閲覧可能です。

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第14章 モテる覚悟

☆54

気づいたときにはもうその噂は部署内全員が知っていた。

──小島五和が妊娠、中絶した。

この根も葉もない噂にはちゃんと次の説明がついている。

──なぜなら、相手が誰だかわからないから。

ほんとうに巧妙にできた噂だった。話が話だけにだれも確認してこない。そしてどれだけ私が噂を否定したくても、妊娠中絶が嘘だとはどうやっても証明できない。

しかもこの噂は入れ籠(いれこ)状に作られた二重の嘘だ。

もし私の妊娠中絶が嘘であると信じてもらえたにしても「その噂がたつくらい、男と寝たい放題に遊んでいた」という嘘の破片すべてを取り除くことはできない。この数ヶ月で私の容姿の雰囲気はずいぶんと変わっていた。私の変化は誰の目にも説得力ある噂の論拠になった。

出元は昌弘さんか紀美子としか考えられない。おそらく昌弘さんが考えついたこの悪趣味極まりない噂話を、紀美子が懸命に言って回っているのだろう。彼らは私が仕返しを果たした二人だった。結局、その仕返しは次の仕返しを生んだだけだった。

そして彼らの意趣返しは、見事に私の膝を打ち砕いたのだ。

好奇心の矢じりをつけた視線は、会社のどこにいても飛んでくる。私はデスクに向かいながら、背中に何十本もの視線の矢がザクザクと刺さっていくのを感じる。仕事以外では誰も私に話しかけてこない、私と目が合えばみなことごとく視線を逸らした。

「最後だから言っておくけど、サワさんってさ、性格悪いよ」

トシの別れのひと言だった。着信拒否にしてからしばらくして、さよなら、というタイトルでメールが来た。トシだけでなく、キョロメガネくんや他の男の子たちとも私は連絡を取らなくなった。いままで電話やデートに当てていた時間がぽっかりと空いたけれど、その隙間は仕事で埋めた。

私はデスクにしがみつく。もう私には仕事しか残っていない。いまなにかに熱中していなければ気が狂ってしまいそうだった。いままでおろそかにしていたぶんを取り返すように私は猛ペースで仕事をこなした。夜は眠れないから早く帰ったってしょうがない。仕事をしている時間だけが、なにもかもを忘れられた。

「やっぱり、アレってほんとうなんじゃない?」

ちょっと気を抜くと、ひそひそと話す低い声が聞こえてしまう。寝不足による顔色の悪さは化粧で隠せても、やつれた輪郭だけは隠せない。私が立ちあがると噂話をしていた紀美子の取り巻きたちがパッと散った。トイレに向かいながら私は呼吸を整える。

「加納さん」

噛んだ唇のなかで声に鳴らない名前を呟く。

加納さんに会いたい。でも、ぜったいに会いたくない。

昌弘さんの怒声を、加納さんは聞いていた。加納さんとのデートのキャンセルをした夜に、私が昌弘さんと何をしていたのかを聞いていた。私は取り返しのつかないことをしてしまったのだ。

トイレに入って鏡の前に立つ。

化粧もヘアメイクも洋服も、三ヶ月前の自分とは別人。

でも髪がぼさぼさのスウェット姿で写ったあの写真よりも、いまの私は非道い姿をしていた。

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