■あらすじ
仕事バリバリの32歳OL、小島五和(こじま さわ)。28歳で最後の恋愛を終えてから、しばらく恋愛なんかしなくていいと思っていた彼女に訪れた30代最初の恋、そして失恋。その相手を見返すために、「恋愛マニュアル」を片手に、日々奮闘していく…
■作者プロフィール
志羽 竜一 1976年生まれ
慶應義塾大学 経済学部卒 東京三菱銀行退行後、三田文學新人賞を受賞してデビュー。
作品:「未来予想図」「アムステルダム・ランチボックス」「シャンペイン・キャデラック」など
※小説内で小島五和が使う「恋愛マニュアル」はNewsCafeトップページ中段リンクから閲覧可能です。
☆25
「サワさん、なにしてんの」
合コンの数日後、それまで何度かメールのやり取りをしていたトシから電話があった。
あの夜は急に「オレ年上好きなの」と言われて気が動転してしまったけれど、いまでは平静を取りもどしてる。なんであの時ドキドキしてしまったのか、という原因をちゃんと理解したからだ。
合コンの後、家に帰って読み直したあした恋するキス講座のなかに、既にその理由は書かれていた。
「自分の好意を知られることは、リスクではない」
そのことで逆に相手に自分を意識させることができる。私は不意打ちでトシからの好意を(勘違いかもしれないけれど)感じてしまったために、瞬間的に彼を恋愛対象の異性として見てしまったのだ。帰ってからマニュアルを見直さなければ、正直危なかったかもしれない。まだ私は修行中の身なのだ。それにお酒が入る前の冷静なときに私が判断した彼は、悪い人間じゃないけれど遊び慣れた男の子で、彼氏として信用できるタイプではなかった。
あした恋するキス講座を読めば読むほど、つくづく自分がマニュアルとは正反対に動いていたことが分かる。でも、もうこれからは違う。自分から先手先手を打っていく、コミュニケーションも自分から終わらせるようにする。そう意識しはじめて間もなくのトシからの電話だった。
「なにって。いま帰ってきたところだけど」
「え、サワさんもう家なの? まだ八時過ぎじゃん」
「ちょっと部屋でやらなきゃいけないことがあってね」
さすがに日課のジョギングのためにとは言いづらく、私はそう答えた。
「なに、どうしたのよ」
「別にぃ、これ暇デン。サワさん仕事終わったなら暇メシ行かないかなと思って」
ヒマデン? ヒマメシ? 暇だから電話して、暇だったら食事行こうってこと?
「もう、なんでも省略して名詞化しないでよ。これだから若い奴は」
「でも傑(すぐる)さんよりマシでしょ。彼なんて紀美ちゃんのことエヌキミって略して呼んでるらしいぜ? 頭オカシイでしょ」
「あれ、傑のこと知ってるんだっけ?」
「バスケ部の後輩だもん」
そうだ、あの夜の合コンは傑が幹事だったのだ。本人はドタキャンしたけれど。
「オレは傑さんが行けないからって言われて、あの日たまたま他の奴に声かけられたんだよ。オレ、ベッタリな先輩後輩とか苦手でさ、傑さんやたらアツイからさぁ、ザ・体育会っつの? そういうのが好きな奴は仲いいけど、オレとか意外と距離感あるんだよね。ここ一、二年は会ってないし」
「へぇ、意外。ウェットそうに見えるけどね、トシ」
「ま、時と場合だけど。惚れた女にはアツくウェットだったりするんだなこれが」
へぇそうですかと私は軽く受け流す。こんな小さなくすぐりにいちいち反応してたまるか。
「じゃあ私じゃなくて傑と暇メシして親睦深めておいでよ。あいつ年中、暇仕事しながら暇メロンソーダ飲んでるからすぐ捕まるよ」
勘弁して、とトシが苦々しくつぶやく。予想以上に嫌そうな反応をしたので私はすこし面喰らった。
「あ、そんなにダメなんだ傑のこと。あいつ結構いい奴なんだけど」
「それは知ってるけど。後輩からもすげー信頼されてるしね。でもさ、祐理ちゃん大変そうジャン。あの二人、仲悪いの知らない?」
「祐理ちゃんって、奥さん?」
訊き返すと、彼は自分の声が尖っているのに気づいたのか、わずかに間をおいて「そーそー、祐理ちゃん」と声色を整えた。私はすこしほっとする。
「俺らと同期のバスケ部のマネージャーだよ、会ったことないの?」
傑より四歳年下の奥さんの話はなんどか聞いたことがあるけれど、実際に会ったことはなかった。大学で知り合ったけど、交際をはじめたのは社会人になってからだと言っていた。
「ビックリするぜ、美人で。大学の時はサッカー部の奴と付き合ってたけど、傑さんがバスケ部に奪い返したって感じ。祐理ちゃんはアイドルだったからそりゃもう
バスケ部で大ニュースだったね」
単に傑と交際しただけなのに、後輩からしたらバスケ部に取りもどしたことになるのか。男の子のこういう感覚はいつまでたってもよく分からない。それにしても傑
がこんな雛形通りのスポーティーな青春を送っていたなんて意外だった。
「……なのにさ。離婚しそうなんだよ、祐理ちゃんと。だったらはじめからつき合うなっての。女ひとり幸せにできないなんて、大した男じゃねぇっての」
電話の向こう側で口を尖らせているトシの姿が目に浮かぶ。
なんだ、トシが傑を嫌いな理由っていうのは、単なるヤキモチでしたか。
そう思うとやっぱりトシは年下のカワイイ男の子に思えてくる。
「ぜんぶ傑さんが悪いんだよ」
そうつぶやくと、彼はふたたび電話の奥で黙ってしまった。いまでは遊び慣れているトシにも、学生時代に心のアイドルはちゃんといたのだ。私はまるで中学生の恋
愛相談を聞いているような気分になった。
「つか傑さんの話はいいよ。それよりサワさん、いつ暇なの?」
「なんで?」
「なんでって、暇なとき飲み行こうよ」
同じ人とばっかり合コンをやってもな、と私は聞かれないように息を吐いた。
「いいけど、女の子たちみんなトシより年上だよ」
「は、なにそれ?」
「しょうがないじゃない。私の友達はみんな私と同い年なんだから。年上好きのトシにはいいかもしれないけれど、他の男の子たちは嫌がるでしょ」
「他の男の子たちなんていないよ」
「なんでよ」
「俺と二人でメシ喰おうって言ってんだよ」
そこで私はようやく気づく。
これはおそらく、あれだ。あれに違いない、デート。私はいまデートの誘いを受けているのだ。そう思って一気に心拍数が高くなる。いくら相手が手慣れている男の子とはいえ、デートに誘われたことには違いない。いままで話していた傑の話なんかいっぺんに頭から追い出して、トシに返す文句を考える。
「えーっと、いつかなぁ……」
明日も明後日も夜の部は予定なんかない、千客万来いらっしゃいませ、というところだけれど、暇なオンナだとは思われたくない、私は暇オンじゃない! とスケジュール帳を開いたときに割り込み電話が入った。あ、と声を出してディスプレイを見る。画面には「キョロメガネくん」と表示されていた。あの展示会で会った以来の連絡だった。
「サワさん、来週とかは?」
「ごめん、ちょっといまキャッチ入っちゃった。また連絡するね」
そう言って電話を切る。千客、万来。