■あらすじ
仕事バリバリの32歳OL、小島五和(こじま さわ)。28歳で最後の恋愛を終えてから、しばらく恋愛なんかしなくていいと思っていた彼女に訪れた30代最初の恋、そして失恋。その相手を見返すために、「恋愛マニュアル」を片手に、日々奮闘していく…

■作者プロフィール
志羽 竜一 1976年生まれ
慶應義塾大学 経済学部卒 東京三菱銀行退行後、三田文學新人賞を受賞してデビュー。
作品:「未来予想図」「アムステルダム・ランチボックス」「シャンペイン・キャデラック」など

※小説内で小島五和が使う「恋愛マニュアル」はNewsCafeトップページ中段リンクから閲覧可能です。

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第6章 「女」のプロ

☆21

「ま、ギリギリ合格ね」

一週間後、パンケーキ屋でその言葉を聞いた私は椅子から飛び上がりたくなるくらい嬉しかった。

彼女は私が削った体重をズバリと当てる。彼女が言った理想体重まではあと4キロ半。ここから先が長い。

「最初の一週間がいちばん大事なんだよ。一週間つづけられれば、自分でも覚悟ができる、スイッチオン。それができなきゃいつまでもスイッチなんか入らない。ま、サワの覚悟を見たかっただけだから、あとは焦らず気長にやって。不健康にならない程度に」

私は嬉しくてなんどもうなずいた。

「でも安心するなよ。確実に痩せて」

ぎろりと睨まれて私は凍りついた。さてと、と彼女はオレンジジュースを飲み終えると伝票を持って席を立った。


あした恋するキス講座いわく。

☆自分の可能性を試しつづける。そのサイクルは三ヶ月。


どんなことにも言えるけれど、同じことをつづけていれば緊張感がなくなってくる。鈍くなってしまうのだ。だから常に意識して新しい刺激を与え、自分の緊張感を保たせる。

新海(にいみ)英之は言う、新しい美容院を試すべし、新しいネイルサロンを試すべし、新しい下着ブランド、新しい基礎化粧品、新しいメイクアップを試すべし。そのサイクルは三回にいちど。毎月のことなら三ヶ月にいちどとなる。新しいものを試して気に入ったのなら取り入れればいいし、気に入らなくても自分の可能性には出会えたことになる。

慣れ親しんだ美容師にまかせっきりなのではなく、定期的に新しい美容師と接触を持つのだ。いままで気づかなかった自分に似合うスタイリングがあるかもしれないし、それまでの美容師や自分自身にも緊張感を保つことができる。それは美意識を磨くことにも役立つという。

「でも、どこにいい美容室があって、どこにいいネイルサロンがあって……」

「どこにプロのメイクがいるか、サワは知らないんだろ」

「プロにメイクなんてしてもらったことないし……」

「注意して見てれば、どこにでもメイクをやってくれる場所はあるよ。化粧品会社もそういうサロン持ってるし、美容院だってメイクしてくれるじゃん。ただサワにそういう発想がなかったから、どこに行けばいいのか知らなかっただけだよ」

そうなのかも。


香月いわく。

☆美しさはお金で買えない。でもキレイはお金で買える。


これはあした恋するキス講座にも同じようなことが書かれていた。だからお金をかけることで磨けるものは、惜しまずお金をかけること。これは習い事と一緒なんだ。自分の容姿を綺麗にしていく習い事。

そんな即物的なものなのだろうか。でもまだ外見になんの手も入れていない私はそのことについてなにも反論できない。

「美しさは内面から溢れる。でもその内面は外見に影響される。ま、いまのサワには分からないかもしれないけどさ。とにかく、今日は忙しいよ。まずは美容院とメイクから。なんでか分かる?」

「一番時間がかかるから?」

「ちがう。髪と顔は全身の15%しかないけど、男の視覚の70%以上を奪うから。それと同じ理由で爪や靴も大事、まぁ顔ほど視覚は奪わないけどね。ようは女の子はディテールなんだよ。顔から意識を逸らせたいときは肌の露出を高める。そのバランスも考える」

「もしかして、みんなそこまで考えているんですか……?」

「まさか。私は仕事だから考えるけど、普通は考えないでしょ。でもモテる女ってのはそういうこと意識しなくても本能的に身についてるんじゃん? サワもいちど男の視線を追いかけてみ。顔のなかでも目と口元が特に大事とか、そういうの分かるから。とにかくディテールなの。洋服はそのディテールを包む色づけ。全身の半分以上を規定するわけだから戦略的に考える。下着はどちらかというと自分の内面に属するもんだけど、安くてダサい下着を着けてる女は不思議と客はつかない」

「お客って……」

「あー悪い、それは仕事の話だね。安心して。別に水商売っぽくしないからさ。そのかわり、ゼロからやるからそれなりに金はかかるよ」

それはもう覚悟の上だ。

香月は西麻布の交差点でタクシーを拾うと、表参道、と運転手に告げた。

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