■あらすじ
仕事バリバリの32歳OL、小島五和(こじま さわ)。28歳で最後の恋愛を終えてから、しばらく恋愛なんかしなくていいと思っていた彼女に訪れた30代最初の恋、そして失恋。その相手を見返すために、「恋愛マニュアル」を片手に、日々奮闘していく…

■作者プロフィール
志羽 竜一 1976年生まれ
慶應義塾大学 経済学部卒 東京三菱銀行退行後、三田文學新人賞を受賞してデビュー。
作品:「未来予想図」「アムステルダム・ランチボックス」「シャンペイン・キャデラック」など

※小説内で小島五和が使う「恋愛マニュアル」はNewsCafeトップページ中段リンクから閲覧可能です。

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第6章 「女」のプロ

☆22

毎日の生活の中身が、がらりと変わった。

まずなにが変わったって、朝起きる時間だ。それまでよりも一時間以上早く起きるようになった。香月に連れて行かれた美容院で教わった化粧やヘアセットは五分では仕上がらないからだ。まだ私の技術がつたないせいもあり四十分はゆうにかかる。教えてもらったメイクは初めて会ったときに香月がしていたような、隙のないナチュラルメイクだ。長かった髪は肩口まで切って、中途半端な色だった髪は色を明るくし、ゆるくパーマをかけた。それだけでほんとうに別人のようになった。浮かれる私に「まだ30点よ」と水を浴びせた香月が選んでくれた服に身を包む。黒やグレー系の仕事着が多かった私に、彼女は白や水色やキャメルの明るい服を選んだ。襟の大きなシャツに、タイトな膝丈のスカート。どれも突飛なデザインじゃないし、どちらかと言えばシンプルな洋服だ。それなのに彼女が組み合わせると、いままで試したことのないスタイルになる。こういうところがセンスの有無なんだろう。そして靴、彼女が選んだ靴はマノロのキャロラインとルブタンのミニヒール、そしてセルジオロッシの三足だ。唾を飲み込んでしまうような値段だったけれど、ボーナス一括払いで購入した。ダイエットしている最中でも靴はサイズが変わらないから何足あってもいいらしい。こうして私は生まれて初めてマノロとルブタンを手に入れた。

「そのヤリステした男って、会社の男なんだろ? そいつに悔しい思いさせるならいっぺんに変わるんじゃなくて、じわりじわりって気づかないうちに変化していく方が効くよ」

と彼女が考えてくれた着回しのスケジュール通りに私は身支度をする。ヤリステって言葉に引っかかったけれど、そんな私を無視して香月は私の部屋のクローゼットを精査した。いまあるもののなかから「かろうじて」使える洋服を選び、組合せを考えてくれたのだ。そこから徐々に新しい洋服たちへ移行していく。

ブローチやベルトといったサイズの関係ないアクセサリー類は平日に待ち合わせて少しずつ集めた。彼女はディテールに絶対手を抜かない。これらのアクセサリーは一見シンプルでフラットな洋服たちを特別な一着に変える。

食事は朝昼晩と三食摂るけれど健康的な食事を意識するようにした。以前ならだらだらと遅くまでやっていた仕事はキッパリと七時半にはやめ、なにも予定がなければ帰ってジョギングをした。運動後にしっかりストレッチもする。睡眠時間は短くなったのに、睡眠の密度は以前にも増して濃くなった。

なんていうのかな、充実感、それが私の毎日を彩るようになった。

自分が変わっていく、その手応えがあった。それは次の一日も自分を磨くための大きな活力になった。こんな好循環を手にしたのはいつ以来だろう。

「五和、なにかあったの?」

いちど加那山に呼び出されて訊かれたことがあった。

「最近、ちょっと変だから」

大丈夫です、と答える私にまだ不審な目を向けていた。たしかにいままでよりも仕事に割く時間はかなり減ってしまった。クリスマスシャンパンの企画だってまだ出せていないし、そんなことはいままでの私ならあり得なかった。なにか問題でもあったんじゃないかと加那山なりに心配していたのだ。

「ならいい」

言いたいことは分かってるな、というような口調だった。仕事が遅れてるぞ、と。私は傑のように「仕事に飽きた」わけじゃない。でもそれよりも大事なものをいまは抱えているんだ。

ジョギングの最中に加納さんにも会った。ジョギング引退宣言をした直後にまた走っている私の姿を見た加納さんは「やっぱりね」と笑って多摩川での再会を喜んでくれた。

「あれ、ちょっと痩せました?」

すっぴんにジャージ姿なのに、自分の変化に気づかれて私はテンションが上がった。これはジョギングと基礎化粧品の効果に違いない。やっぱり私はすこしずつ、確実に進化している。会社でもまだ誰も私の容姿の変化には気づいていなかった。はじめて気づいてくれたのが加納さんだった。

「うれしい、実は最近、毎日走ってるから」

「よかった、また一緒に走れて。お仕事が一段落されたんですか?」

「いや、仕事は忙しいんですけど……」

それより綺麗になるのに忙しいんです、と心のなかで答える。

「無理しないで走ってくださいね」

と言う加納さんは、相変わらず走るのが遅くてあっという間に私の後ろに遠ざかってしまった。

昌弘さんからは相変わらず連絡がない。私がメールを打ったのを最後に、返信もなければ電話もなかった。ふとした瞬間にそれを思いかえすと苛ついて、恥ずかしくて、寂しくなった。そんな時にメールの着信なんかがあると慌てて携帯電話に飛びついた。彼のことは許せない、それなのにまだ寂しさなんかを感じている自分に腹が立った。

その気持ちを紛らわすように他の練習に集中する。

臆病さを克服する練習。仕事でレセプションに呼ばれたときには必ずひとり以上の連絡先を手にして帰ってきた。

「連絡しますね」

と私から言ったのに、相手から先に連絡が来ることもあった。この一月で八人の男の連絡先を私は訊いた。ちょっとカッコいいな、と思う人にも果敢に挑戦した。へんな心配をする必要もなく、彼らは簡単に連絡先を交換してくれた。拒否されたのは二回だけで、その二人はよく考えると明らかに自意識過剰な男だった。連絡先を教えられないくらい自意識過剰な男たち、べつにこっちは練習なのに。もう二度と会わないし、まいっか。次の日ジョギングをしてるときには男の顔も思い出せなかった。

一ヶ月。私は二キロ痩せて、メイクの技術も上達し、洋服も香月と一緒に買った洋服たちにすべて移行が済んでいた。

「こんど合コンしませんか」

と、連絡先を訊いた男の子からメールが来たのはその頃だ。

「行ってきてもいいけど、その前にヘアメイクと化粧、もう1パターンくらい覚えてからにしたら」

と香月に忠告され、週末を使って彼女に紹介された別の美容院とメイクサロンに行ってくる。これで戦闘準備オーケー。

あの夜以来の合コンだった。

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