■あらすじ
仕事バリバリの32歳OL、小島五和(こじま さわ)。28歳で最後の恋愛を終えてから、しばらく恋愛なんかしなくていいと思っていた彼女に訪れた30代最初の恋、そして失恋。その相手を見返すために、「恋愛マニュアル」を片手に、日々奮闘していく…
■作者プロフィール
志羽 竜一 1976年生まれ
慶應義塾大学 経済学部卒 東京三菱銀行退行後、三田文學新人賞を受賞してデビュー。
作品:「未来予想図」「アムステルダム・ランチボックス」「シャンペイン・キャデラック」など
※小説内で小島五和が使う「恋愛マニュアル」はNewsCafeトップページ中段リンクから閲覧可能です。
☆6
傑にそう言われたものの、やっぱり昌弘さんと一度も話し合わずに合コンに出かけるのは気が引けた。でもあの日以来昌弘さんからの連絡はない。彼から「こんど会おう」と言ってくれたのに、その日程がいつになるのかもわからなかった。すこしでも彼がなにを考えているのか知りたかった私は、正直に昌弘さんにメールで事情を打ち明けることにした。携帯を握り頭を悩ませながら、メールのポイントをいくつかに絞る。
①文面が重くならないこと。
②ちゃんと合コンの存在を知らせること。
③その合コンはいつでも断っていいことを伝えること。
④昌弘さんが会う約束をしてくれたことを、自然に再確認すること。
⑤私も昌弘さんと会いたいと思っていることを伝えること。
⑥でもとにかく、文面が重くならないこと。
私はなんどもなんども書き直し、所々に絵文字も配しながら一通のメールを作成した。以下の通り。
「昌弘さん。同僚に誘われて合コンを開くことになってしまったのですが、あまり乗り気じゃないし、昌弘さんともお話をしたいと思っています。近いうちにお食事でもいかがでしょうか。五和」
たかだか数行のそのメールを打つのに、私は一時間以上も悩んでしまった。でも我ながら悪くないと思った。きっとこのメールを見て昌弘さんも私との約束を思いだしてくれるだろう。それにもしかしたら合コンの存在にあせって、私たちの関係も加速するかもしれない。メールは気長に待とう、彼だって忙しいんだ。期待してしまうとその日にメールがなかっただけで絶望的な気分になってしまう、そう、二三日はのんびりと待てばいいんだ。自分だって散々悩んで文面を考えたんだしね。
と、思っている最中に早速、たった一行のメールが彼から戻ってきた。
「小島さん。ぜひ行ってきてください。来週の月曜夜、食事しましょう。小暮」
──そのメールで三時間悩んだ。
彼氏(候補)からのメールとして読んだ場合、私はどう解釈したらいいのだろう。私にはそのメールは謎が多すぎた。
①なぜ、文章が敬語なのか? この前は普通に話してたのに。
②なぜ、行ってきてというのか? これは同窓会じゃなくて合コンなんだぞ。
③というか「ぜひ」行ってきてって、なに? ゼヒ? もしかして勧めてる?
④というわりには、来週私と食事はするの? やっぱり昌弘さんも前向き?
⑤でもそこは月曜日? 金曜日の夜じゃなくて、週末でもなくて、月曜日?
⑥で、署名は小暮? これ、仕事のメールのときも同じ署名を見たのだけれど。
⑦絵文字ゼロ。
昌弘さんがなにを考えているのかまったくわからなかった。この七不思議に頭を抱えた私は、とりあえず昌弘さんの言うとおり傑の友人との合コンを開くことにした。そこで昌弘さんとのことをひっくり返すような出会いなんてあるわけないし、そのことを再確認したことを月曜日に伝えられるとも思った。それに私の合コンの誘いに紀美子がそう簡単についてくるとも思えない。そうなればそもそも合コン自体が無くなってしまうのだから、こんな悩みも杞憂に終わってしまう、はずだった。
「嫌なわけないじゃないですか、ぜひお伺いしますーっ! 男の人と飲むことより、五和さんから誘われたことが嬉しいです!」
紀美子はまっ白い歯を見せて笑って答えた。
モアの表紙だって飾れそうな美しい笑顔。一年前のあの会話さえ聞かなかったら、いまでも純粋にその笑顔を受けとめていたと思う。でも今では逆になにを企んでいるのかと警戒してしまう私がいる。紀美子は彼女の取り巻きの女の子たちに声を掛け、すぐに合コンの手はずは整った。
その合コンは恵比寿にあるレストランバーで開かれた。
照明が抑えられ、各ブースは紫色の紗幕で区切られていた。アクリルテーブルの内側にはLEDが敷かれている。テーブルの放つ仄白い光に照らされて、向かい合って二列にならんだ男女の顔はどこか官能的に見えた。まるで合コンやデートのために作られたような空間だった。ブース内にはビートの効いたジャズが大音量で流れてくる。私たちが会話をするには肌が触れあうほど顔を寄せる必要があった。よくこんな場所を知っているもんだ、と私は傑に感心してしまう。
はじめから、私は居心地が悪かった。
まずこんな趣味のお店が、私は苦手だった。料理は華やかだけど、なんとなく味がスカスカしていて楽しめない。それなら会話を楽しむかと思っても、私は初対面の人と話すのが得意じゃない。仕事での交渉はお互いの目的がハッキリしているけれど、なんの目的もなくただ時間を埋めていくような会話をどのように回せばいいのか私は知らなかった。
挙げ句に、幹事の傑がいなかった。
土壇場になって「悪い、ちょっと急用で」とキャンセルしたのだ。そもそも私は後輩の紀美子たちとプライベートで飲んだことがない。だからある意味彼女たちに対しても私は初対面と変わらなかった。ブース内は透明な三色に色分けされている。男子のグループと女子のグループと、私。私は彼らがお互いに話を進めていくさまを、ただあっけにとられて眺めているだけだった。
「きみたち、なに、美人サークル?」
「うわぁこの人、お調子者ぉ」
「そうそう、そこがたまに傷なんだよね、オレ」
相手は音楽会社や出版社に勤める二十九歳の男の子たちだった。紀美子たちに負けず劣らず異性の扱い方に慣れていそうで、自己紹介をする前からすでに彼らは親密な空気を作り上げていた。
「中川さん、どこ住んでるの?」
「池尻、目黒川の近くー。あ、紀美子でいいよ」
「じゃあ、紀美ちゃん。あの辺いいよね、渋谷からも歩けるしさー」
「え、オレ三茶だからすげー近いんだけど」
「トシくん三茶住んでるのー?」
「いいなー、あそこのツタヤすごいおっきいよね」
「あー私も行ったことあるー。つかそこでWii買った!」
「加奈ちゃんWii持ってるの? こんどWiiスポで対戦しようぜ」
「トシくん強いのー?」
「いいよ、私ゴルフなら絶対負けないもん。しかも私の似顔絵超ウケるし」
「奈保も見たことあるー、あれもう似すぎてて逆に似てないよねー」
「なんだよそれ、痛すぎて逆に気持ちいいみたいな感じ?」
「やだー、このお調子者ー」
もう、何が何だかわからない。
話の流れが早すぎる、そもそも目黒川の話をしていたんじゃなかったっけ? それがなんで痛すぎて逆に気持ちよくなるのか、さっぱりついて行けなかった。テニスの高速ラリーを見ているようで、集中していないとあっという間に次のゲームへと進んでしまう。
こんなところに来るんじゃなかったと私はすぐに後悔した。こんなことなら会社で仕事しながらぼんやりと昌弘さんのことを考えている方が百倍有用な時間だった。「五和さんはゲームやったりするんですか」
紀美子が突然話を振ってきて、私はうろたえる。
「五和さんって、意外とゲームうまそうだよね」
「うん、手先器用そうだし」
「しかもゲームって反射神経でしょ? 五和さん仕事の時の反射神経とか神がかり的だもん」
「そうそう、電話をとるスピードとか」
「あれ、相手に呼び出し音が聞こえる前に電話とってますよね」
「へぇ、五和さんカッコイイーッ」
「でたー、お調子者トシくん」
お互いを紀美ちゃん、トシくんと呼んでいる空気の中で、私だけがさん付けをされる。もちろんちゃん付けで呼ばれても気持ち悪いのだけれど、なんとなく私はこの場にそぐわない気になってくる。男たちの視線はちらちらと交互に走り、最後は必ず紀美子の前で止まった。女の子たちはノリのいいトシという男を中心にして話を進めている。はじめはひとつだった会話のグループが、お酒のおかわりをする頃には二つの話題に別れ、メインの料理が出てくるまでにはそれぞれ一対一の四つのグループに別れた。それはあたかも決められた式次第に沿って進んでいくセレモニーのようだった。一時間も経たないうちに、みんな頬を赤く染めて酒気を含んだ視線でお互いを遠慮無く観察しだした。
「五和さん、大丈夫?」
しばらく黙って飲んでいた私に気づいてトシが声を掛けた。髪の毛の色が明るく、彫りの深い顔をした男の子だった。
「そうそう、五和さんって結局ゲームする人なんだっけ?」
「たしかにー、その話聞かせてくださいよ、五和さん」
紀美子がいつもの笑顔で私をふり返る。
「私ゲームあんまりやったことないなぁ。実際に体を動かす方が好きかも」
「例えば?」
「走るのが好きかな。マラソンとかもなんどか出たことある」
「すげー、マジじゃないですか。たしかにジョギングって、ひとりで、いつでもできますしねー」
酔っ払った男の子が、おそらくなんの悪意もなく言った。
「そう、ひとりでね」
奥に座っていた女の子が、くすりと笑いながらそう呟くのが聞こえた。私は突然恥ずかしくなった。「ほら仕事が忙しくなるとみんなと時間を合わせるのも大変になってくるじゃない」と要らないフォローを自分で入れたとき、紀美子が目を輝かせた。
「やっぱり三十代になると、ひとりの時間とか多くなるんですか?」
私は蛇に睨まれたように体が動かなくなる。
「……さぁ、人によると思うけど」
「習い事してる人も多いですもんね」
「私はしてないけどね」
「でもそう言う場所って、出会いとかありそうじゃないですか」
紀美子の笑顔は崩れない。
「そうだよ五和さん、そういうところどんどん行けばいいのに」
長髪の男が楽しげに言う。いままで別々に話していた男女が私にいっせいにふり返った。話したくもない話題で注目を浴びてしまった私はますます居心地が悪くなった。
「いや、習い事って時間が決まってるからなかなか顔出せなくて」
「でも最近はお花とか料理教室とかって男の子も多いらしいですよ」
「そうかもしれないけど」
「私の知ってるオネエサマなんて習い事四つもかけ持ちしてるし」
「え、もしかして五和さんって、男に興味ないの?」
一番酔っている男が笑いながら言う。普段なら笑って受け流せるところなのに、隣で紀美子がじっと私を見つめているせいか、うまい答えがなにも浮かんでこない。
「まさか、違うよ」
「なら習い事いけばいいのにー。どうせ……」
「別に私は出会いを求めてるわけじゃないの」
そう言ってワイングラスを手にしたとき、「へぇ、ならなんで合コン開いてるんだろねこの人?」と奈保が紀美子に耳打ちした。それは、一瞬静まりかえった場のなかで、誰の耳にも明瞭に聞こえた。
ブースの中の会話が途切れた。
女の子たちはみんな俯いている。
「トシ、ほらこの前見て面白かったって言う映画なんだっけ」
「え、あれは……なんだっけ……」
「私、ちょっと残ってる仕事があるから」
財布に手を伸ばし、一万円札をテーブルに置いて、私は席を立った。
店の出口へ向かうとき、私のいたブースからいっせいに女の子の笑い声が聞こえた。